石川県・輪島温泉
輪島温泉 足湯 湯楽里
茶褐色・苦み
源泉61.8度
ナトリウム・カルシウム-塩化物泉
源泉61.8度
ナトリウム・カルシウム-塩化物泉
施設には清潔な建物、屋根、広さ、飲泉、犬用温泉スペース休憩のためのスペース、バリアフリーが整っており、今後の足湯建設の模範になりえるものだ。
湯も素晴らしい。広い湯船の中心に据えられた石の湯樋から茶褐色の湯が勢いよく流れ出ており、飽きさせない。飲泉をすればわかるが、辛味苦みのある塩泉なので、保温効果も実に優れているようだ。
湯に入りまくっているときは足湯で一息つく間が恋しくなる。特にこんな温泉郷には必須といってよい。この施設はその麗しき理想を体現している。
(2015.12)
(2015.12)
新年あけましておめでとうございます。
今後とも不定期更新の当ブログをどうぞよしなに・・・
石川県・ねぶた温泉
輪島温泉郷ねぶた温泉
輪島市内から東へ数分のところにある小奇麗な施設だが、道路を挟んで波が爆ぜるちょっとした崖が広がっており情緒豊かだ。輪島の温泉は塩っ辛い海の温泉だが、この温泉は10.3phを備える強アルカリの美肌の湯だ。
設備も非常に清潔で、新築のにおいすらする。
内湯に大きな湯船が一つ、露天にも一つ。ここは露天の湯船の零れ湯が池に入り、そこには鯉がちゃんと生息しているのが妙なる印象を与えるだろう。きっと彼らにも温泉は良い影響を与えているのだろう。
湯について。成分表曰く、様々なイオンは含有されているわけではない。しかし肌がつるつるする特徴がやはりあり、それだけでなく、不思議と体に染み入り、長く入ったわけでもないのに結構湯あたりをするほどだ。もちろん体もポカポカである。
和倉も輪島も塩辛い温泉だから、それに飽いたらこちらへ行くのも良いでしょう。
(215.12)
(215.12)
どうやら温泉さんは北陸道中を進んでいることがわかります。
石川県・和倉温泉
和倉温泉 奥田旅館
ナトリウム・カルシウム-塩化物泉
無色透明
源泉82.6度
無色透明
源泉82.6度
温泉旅館は数多あるから予算に応じたところを選べばよかろう。僕は決して高額ではないこの旅館に泊まる。
湯船は一つだがそれなりに広さがある。さらに小規模だがジャグジーがあり好印象だ。なかなか清潔な施設だと思う。
湯について。その成分は大変に強烈である。無色透明だが油臭がする。極めつけはその苦みで、単純な塩辛さとは異なるのどの奥が苦しくなるような味がする。また湯が目にかかると沁みてヒリヒリするのだ。温泉分析表によると、成分総計はなんと19.79g/kg・・・体の保温効果も抜群で、寒い能登の冬を過ごすには最適な湯であろう。
名湯の名に恥じない強力な温泉である。
この温泉に入るためだけに、遠路七尾まで来たのだ・・・
(2015.12)
この温泉に入るためだけに、遠路七尾まで来たのだ・・・
(2015.12)
久々の温泉さんのご寄付です!
なにを寄付したか、もちろん文章と写真。
ありがたいことでございます。
温泉世界
温泉に浸かるという事は、その湯の周辺の政治、経済、文化に渡る諸事象に触れるということである。
道後温泉は天皇が発見したという伝説を持つ。別府の明礬温泉は戦国時代の大名の交易物が採取された。二日市温泉は、第二次大戦後引き上げの際に暴行を受けた女性たちを保護治療した歴史がある。ボーリング技術の発達により、逸話を持たぬ新興温泉が誕生し、古にさかのぼる歴史を持たなくとも、地域社会に影響を与えた施設も存在するのだ。
道後温泉は天皇が発見したという伝説を持つ。別府の明礬温泉は戦国時代の大名の交易物が採取された。二日市温泉は、第二次大戦後引き上げの際に暴行を受けた女性たちを保護治療した歴史がある。ボーリング技術の発達により、逸話を持たぬ新興温泉が誕生し、古にさかのぼる歴史を持たなくとも、地域社会に影響を与えた施設も存在するのだ。
人間個人として湯に浸かる行為は入浴、旅行、湯治の枠を出るものではない。しかしそれは、より高次の視点からは、紛れもない歴史事象探求の拠点そのものなのだ。なぜかといえば、それは快楽に突き動かされ歴史を描写してきた人類が追い求めた、地上に楽土を拓く行いの一つには違いないのだから。温泉街に色町が栄えたのも、理由があってのことだ。
人類の希求する健康長生の目的のため温泉は用いられる。体を清潔に保ち、芯から温め、長期間湯にあたりつづける湯治と、温泉入浴という行為は、人類が夢見る「不老不死」へのあがきそのものだ。それは決して、安逸なものではない。「楽土」にいるとき、人はそこから出る事を考えるだろうか。しかし、いつかは湯から出なければならない。「楽土」を手放し現世に帰る事で、人はまた新たに戦えるようになるのだ。なんのために戦うのか。この世に「楽土」を拓くためである。ではそれはなんのためか。偉大なる自己認識のためである。これはマスターベーションにより我が身と我が心を見つめる行為に似ている。色町での遊興とて、とどのつまりは自慰行為である。すなわち、湯が沸けば、人は自己認識に至る可能性を見出すのである。自分自身を把握する事こそ、「不老不死」へ至る道だと、人類は本能的に考えているのだ。
故に、入浴行為はどのような目的に適い、形態をとろうが哲学行為であり文学的精神の精練であると言える。その豊穣の泉は、価値を有する事を知る者にこそふさわしい。
さあ諸君。楽土を求め、より良い温泉を探しに旅立とうではないか。
芳しいご投稿ありがとうございました。
温泉にそこまで賭けられるとは、ある意味で幸せなことなのでしょう。
これは哲学と言うより新興宗教に近いというのが、私の実感です。
新興宗教が文学的たりえるかは、わかりません。
熊本県・玉名温泉
玉名温泉 竹水苑
玉名は熊本の北、福岡県との県境にある程度近いが高速道路の流れからはやや外れた有明海川の町である。熊本市はもちろん、近隣の山鹿市や菊池市とも町の纏う雰囲気は異なる。よりこぢんまりとして、ちょっと品が良い、そんなところだ。だから玉名温泉は敷居の低い日帰り湯が数多いというわけではない。立派な旅館があって、そこに宿泊して湯を楽しむべきであるという印象だ。
この度宿泊の機会を得たこの宿はいわゆる高級旅館にあたるのだろう。立派な庭園、素晴らしい部屋、部屋に付く露天湯、と実に申し分ない。受付には猫もいた。
湯について。無色透明無味無臭の、北肥に共通する泉質の湯だが、快適にこしらえられた空間での湯治はかくも素晴らしいものか、と慨嘆せざるをえない。資産があり宿泊する旅館に糸目をつけない人々はこのような世界を楽しんでいるのだ。空間と湯が調和し、滞在する人間に絶対的な満足を与えてくれる。それが必ず終わりに到達する、と知っているからこそ、より貴いものになる。日々、額に汗して労働にいそしむのも、このような一時を掴むためではなかったか、と生活を思い卑屈に曲がった心が、自らが失わせた誇りを取り戻すことができる。
つまり、ああ、高級旅館って素晴らしいね、ということだ。数値的に見ても素晴らしい、源泉温度、フッ素含有量、メタケイ酸含有量、ラドン含有量の四点で、温泉の基準に適応している。
いやはや、今回の幸運に巡り合える日を楽しみにしたいもの。やはり高い旅館は、それだけの理由があるというものだ。
(2015.2)
(2015.2)
高級旅館が素晴らしいだなんてそんな身もふたもない・・・
温泉さんには貧乏施設を巡り巡ってもらいたいのに。
貧しさに苦しんで、苦しみぬいて、それでも健気に生きる我々に喜びを与えてほしいです。
熊本県・五木温泉
五木温泉 夢唄
哀愁漂う身分格差と貧困の子守唄で有名な五木村の温泉。
五木村は小さく、中心部もそれなりだ。食事をするところも少なく、温泉と食事処が集まったこの温泉施設は地域社会のかなめになっているだろう。こういった施設でキープボトルが陳列しているのを見るのは珍しいかもしれない。湯が出たのは地域にとってなによりだろう。湯船のおっさんたちは、明らかに地元の人が多い。
湯について。
平凡だが良質な単純温泉。源泉温度が低いため加温している。
消毒循環している内湯に、かけ流しの露天。棲み分けができていてよいのではなかろうか。といっても、湯の特質が目立つわけではないから、湯だけで人を招くのも難しそうだ。
温泉の入り口に五木村の空撮写真が並べてある。十数年前に比べて、明らかに村に立つ建物の数が減少している。もしかすると高齢化や若者の流出で空いた建物を区画整理して合理化しているのかもしれないが、人口も減少の一途であることを考えると、五木村の未来が明るいとはなかなか思えないところだ。しかしこれは、日本の地方全てにとって、これから付きまとう出口の見えない問題なのだろう。顕著なのがこの五木村である、というだけで。
湯に浸かりながら、そのような事を思い浮かべたものである。
(2014.11)
(2014.11)
なにやら哀愁漂う温泉レビューでした。
温泉から自治体が見える、と温泉さんは考えているのでしょうが、考えすぎではないでしょうか・・・