売名

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※いつものように無断転載。エロゲー山脈とランボーナイフ。問題があればすぐに消しますので言ってください。
果たしてエロゲーダガーなのだろうか?
孤独→エロゲー→絶望→ダガーだとしても、人はエロゲーのみで絶望できるのか。


人生はリセットできない。人生にはリセットボタンはない、ゲームと違ってやり直しは利かないという意味だろう。
だが本当にリセットできないなら、それこそ加藤のように絶望する人間が増えるだろう。
やり直しがきかない?どの段階で?もう二度と貧困から抜け出せない?永遠に恋人ができない?陽の下を歩めない・・・?
人生はそこまで単純明快には出来ていない。
人生にリセットボタンはないだろうが、Re-setはできるだろうと思う。
成功だけで、失敗を知らずに生きてきた人間などいないのだから。

この社長が言う事はまあ正しいと思う。
完全無欠の論で、反論の余地がない。
しかし、反論の余地がない主張というのは、それ自身危うさを孕んでいるものだ。
正しいという事は、最良であるということには必ずしも繋がらない。

まず変態アダルトゲームには需要がある。
実際、これで食ってる人も、現実の労苦を慰めている人もいる。
彼らが犯罪を犯したわけでもないのに、発禁や自主規制を求める事は難しいだろう。
なにより変態調教スカトロゲームと大量殺人の因果関係も明らかになったとは言えない。
正義や道義の面からみれば、因果関係は明らかなようだが、こんな集計もある。

6月29日 愛知 女の乳児 殺害 実母

6月24日 千葉 孫娘(4) 殺害 祖父(77)

6月17日 奈良 長男(13) 殺害 母(48)

6月15日 茨城 長男(生後13日) 殺害 母(36)

6月12日 愛媛 娘(4ヶ月) 殺害 母(22)

6月10日 福岡 女の嬰児 殺害 母(20)

6月8日 群馬 男の嬰児 殺害 母(44)

6月5日 山梨 男の嬰児 殺害 母(17)

6月3日 千葉 長女亜麻音(6ヶ月) 殺害 母(34)死亡

6月2日 北海道 男の嬰児 殺害 実母?

5月30日 宮城 次女はるか(2ヶ月) 殺害 母(25)

5月27日 東京 長女(8ヶ月) 殺害 父親(22)

5月26日 熊本 長女仲谷雪菜(16) 三男天紫(てんし)(7) 次女赦渚(せり)(5) 雪菜の長女香蓮(6ヶ月) 殺害 両親(死亡)

5月22日 広島 女の嬰児 (50cm、3000g) 殺害 実母?

5月17日 埼玉 女の嬰児 殺害 実母?

5月16日 千葉 長女和(なごみ)(8ヶ月) 殺害 父親(30)

5月15日 大阪 長男一沙(いっさ)(2) 殺害 母(30)

5月14日 熊本 長男憂寿(ゆうと)(2ヶ月) 殺害 父親(22)

5月13日 兵庫 次女明日香(5) 殺害 両親

5月12日 神奈川 長女琴美(10) 殺害 母(36)

5月12日 山口 男の嬰児 殺害 母(22)

5月8日 神奈川 男の嬰児 殺害 母(21)

5月6日 北海道 長女ジュヌ(6ヶ月) 殺害 父親(26)

5月5日 宮城 長男隆喜(りゅうき)(3ヶ月) 殺害 父親(29)

5月1日 京都 次女松下真菜(当時4) 殺害 両親


加藤のようなフォーリング・ダウンな人間が現れることもあるだろうが、
身近な人間による殺人事件の犠牲者を足せば、気がめいりそうになる。
この連中が、近親相姦マニアック食糞ゲームをやっていたという話は聞かない。
因果関係はあるかもしれないが、無いかもしれない。

そしてゲームを批判する人に限って、ゲームはやっていないんだろうなといつも思う。
彼らは口を極めて残虐エログロゲームを非難するが、
金を払って研究した事はあるのだろうか?
なぜゲームが悪くて、小説や映画が無害だと言い切れるのだろうか。
完全犯罪や非道徳を謳い文句にした殺人ミステリ物が、人を狂気へと導いたという可能性もあるだろう。
そういえば、殺戮者・加藤はランボーとちょっと似ている。すなわち、絶望と孤独である。
この社長は加藤のような人間に接しないだろう。接しないが批判はする。
接したくない、考えたくない、見るのも嫌だ、消えてしまえ、という思考停止にこの社長は陥っている。
いろいろ長文を書いているが、どれも内容は似たり寄ったりと言ったところ。

ところで、ゲーム製作者自分が作りたい作品を創るものだ。
確かに脱糞アナルステアリング変態レイプゲームを創るために彼らは生まれてきたといえないだろうが、
それでも現在の環境で、一生懸命表現活動を行っている彼らの行動を規制するのは、
横暴も極まる。誰がそこまで他者に強要できるというのか。
彼らの生活の面倒を見てやってから、初めて言えるセリフだろう。
この社長は、脱肛キンタマしゃぶりゲームで生きている人々の再雇用の妙案でもあるのだろうが、
まずは行動をしてから、文句を言うべきではないかな。

今は、平和の世の中である。
平和の世の中は退屈で、人はしばしば狂気に浸りたくなるものである。
狂気と正気を行きつ戻りつして社会活動をなんとか維持している我らには
ランボーになったつもりの加藤君に始末されないよう気をつけつつ、
一日一日を自らの責務を全うしようではありませんか。


という投稿がありました。


個人的には、この社長の
「わたしは、すべてのゲームが悪いと言っているのではない。最近は頭や身体を鍛えるゲームも増えてきたようだ。」

という一文に社長の自信の無さが見えました。
誉めて貶すというのは、終局的な責任をとりたがらない人間が選ぶ、安易ではあるものの永遠の逃げ道なのです。

第二、第三の加藤が出ないような、温かみのある提言を、誰かしてくれないものでしょうか・・・。