懐古

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新聞記者は
「リアリティーに乏しく虚構に見えたから平然としていた」
なんて理論はもうやめたほうがいい。

この記事を書いている人やこの会社人はその虚構の世界を体験した事があるのだろうか。
きっと忙しすぎる記者連中はそんなアホな考えを空想もしないだろう。
撮影している連中はそんな事とは関係なく、ただ単に、他人の事に冷淡で、他人の不幸は面白く、他人の死には感覚が伴わないだけである。

写真をとりせわしくなく指を動かすのも、虚構に慣れ親しんでいるからなどではなく、
ただ単に人間として感性の幅がそれほど広くないというだけだ。
そしてそんな人間はざらに居る。
これは別に非難されるようなことでもないのだ。

現代人はビル周辺や駅線路肩などぐらいで観賞のための死体に接する機会がない。
普段得られぬモノをパシパシ激写するのは人情である。
助けない、といってそれを非難するのは人間性に適っていない。
それに救護する人間がそんなに居ては、被害者もさらに迷惑するだろうし。

秋葉原にいる連中は他人批判精神だけはいっちょまえだから、
そういう偽善に陥るのだけは絶対に避けるのだろう。

かつて死刑囚の死体を晒していた時代は、大人ばかりか子供までもが死体を見、楽しんで、その生首に石つぶてを投げていたものだ。
現代に失望した余り、過去に希望を持ちすぎるというのは良くある事で、実に産経らしいともいえる。

人間こうあるべき、という理想は結構だし、新聞社が背負う公的な道徳を逸脱するのは難しい事もわかるが、
こういう事実を伝える、というよりも願いの込められた文章を書いているから紙面での読者をネットに奪われるのだ。

それでは新聞社の営業利益は永遠に増えていかない。
読者を増やすためにも、虚構の世界を突き破った文章を書いて欲しいものだ。
え、社会的に非難されるって?
マスコミの非道徳が非難されるのは今に始まった事じゃないくせに・・・臆病なんだから

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