ぶっ殺せ! vs ダメ in Japan

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社会の寄生虫である識者の意見なんかはどうでもいい。
死刑が執行された事は大変まともな事であると思う。
これで遺族らの無念も、幾ばくかは慰められたという。

死刑廃止論の人々は、日本での営業成績を上げれば欧州人権委員の面々からお褒めのお言葉がかかるらしい。それだけを頼みに連中が気張っているわけでもないだろうが、
彼らは、死刑は抑止力にならないことは証明されているといっている。
日々社会情勢も景気も人の心も移ろいやすい人間の世でどのような統計を取ったのかは不明だが、
殺しても殺さなくても結局、犯罪者の魔の手にかかる人間が居るというのなら、
死刑囚をばんばん殺していったほうが遺族の社会復帰には役立つのではないか。

犯罪者の人権や社会復帰はともかくとして、
理不尽にも被害にあった犠牲者の怨念もとりあえずおいておいて
残されてしまった遺族たちの無念の思いは、死刑で和らぐと、個人的には思う。
でなければ、なぜ、なんのために殺されねばならなかったのか納得がいかないだろう。
それほど私の家族の命は安く、軽く、取るに足らないものだったのか・・・

私個人は犯罪者の人権価値よりも遺族の社会復帰がなにより大切だと思うので、
死刑には賛成である。
当然、こういう刑罰が無いに超した事はないが、それではやっていけないのが人間の社会である。
今の法務大臣もたぶんそんな認識で、粛々と責任を果たしているのではないか。

こうであれば鳩山弟が一般の庶民から評価されるのも当然である。
なぜなら被告が死刑囚になるような事件の犠牲になるのは、なぜかほとんど庶民であるから。
死刑反対と絶叫して止まない連中の家族が、無惨窮まる目にあったとはあまり聞かない。いや、ぜんぜん。

しかしもしも、死刑大反対論者が、自分の最愛の家族を犯罪者に犠牲にされても死刑反対と主張しつづけることができたなら、それはよほどのことだ。
死刑が社会に害を為すと確信しているのか、たんに狂っているのかどちらかなのだろう。

ちなみにこの文章は犯罪予告とかではないので、あしからず。
私は今も昔もこれからも犯罪者ではありません。

・・・という投稿があったとさ。