姥捨

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政治家は国の財政を維持・堅守するために後期高齢者医療制度を纏めた。

だが暇で暇でしょうがない老人衆がこぞって選挙に足を運び、
貧乏ひま無しの中年以下の人々は疲れきっていてこれ以上どうにもならない問題は考えたくないと家でふてねしている。
どうにもならない問題とは生存権のために一致団結した老人どもに対して、
利害関係が複雑すぎて決して大同団結できぬ自分達以下の世代の事である。
結果、しわがれた声が民意という事になる。

あわてた政治家達は選挙で敗北をするわけにはいかない。
なぜなら、選挙に落ちれば明日から路頭に迷う事になるからだ。
国家の俸給を得られない以上、誰かにすがらなければならない。
今の政治家たちにとって、これほど苦手な事はない。
よって自ら機会を放棄する若衆を見捨て、お年寄りの手をとるのだ。うげぇっカメ蟲くさー!

・・・

開き直ったチーム「姥捨山」による姥捨山共和国が誕生する恐怖はそこにある。

いまや日本の社会制度はところどころで寸断されている。
寸断したのは首都と夢と豊かさと私の個別利害であるから祇園精舎の鐘の声としてあきらめるのも良い。
しかし絶対に放置が許されないことは、お年寄りへの憎悪が集中することである。
こうなってしまえば、既に瀕死の家族間の絆が非道徳と近親憎悪によって、最後のトドメを刺される事となる。

老人たちも理解するべきである。
若者を食い物にしながら生きながらえる事のおぞましさを。
そして一時の勝利とて、老人の寿命を伸ばす役割は果たしはしないということを。
その勝鬨は次の冷ややかな反撃の呼び水でしかないのだということを。

反撃が始まれば体力的にも弱ったこの連中は満足して死ぬこともできなくなる。
墓に入れてもらえればまだよい。
遺族が復讐の為に墓を売りに出すこともあろう。
そうなれば位牌と遺灰は産業廃棄物として呪われた扱いを受けるのみだ。

こうして文明は終焉を迎える。
家族を捨てた生き残りは人間性を失い野蛮人として世界中に迷惑をかけ続けることになるだろう。
人類の全ての厄災は日本列島から始まったと言われぬように、
私はもう一度家族が集う日を夢見るのだった。


~本当にこういう投稿があったんです。