攻めても攻めても勝てないといって彼らを非難するのは、この場合正しくないと思う。
勝てないのは残念だが、カメルーン人と日本人ではハングリー精神に雲泥の差がある。
カメルーンではサッカーでの栄光が彼と彼の一族の繁栄を保障するが、
日本ではどんなもんか。

日本でだってたくさんCMがつくと言うが、
それに嫌気が差したヒデがうんざりするくらいならと世捨て人になってしまった例を忘れてはならない。
なぜなら日本人選手の多くはそれなりの高等教育を受けているから、
プライドの高さではこれらアフリカ諸国の引けをとらぬ。

アフリカ人にプライドがないといっているのではぜんぜんない。
彼らの誇りは国家と民族と大きな家族に捧げられるものだ。
これに対して日本人は極めて狭い家族と己の個別利害にのみ費やされている。
発展性のない誇りが彼らからここぞという時の力を失わせる。

なんでか。簡単な話、日本人は豊かだが腐敗した精神の上に生きているからである。
貧困から国家と民族と家族を守らねばならないカメルーン人選手は
己の苦しみを厭わぬ。
ああ偉大なる魂の発露だ。
これこそ真の人間。
この自己犠牲こそ人が大をなすための土壌となるのだ。

この自己犠牲という精神資源は日本では採掘され尽くされてます。
そしてこれを作り出すには、貧困と悲劇と屈辱という前提条件が欠かせないのです。

というわけで日本が国際社会で復活するにはあと500年は必要だと思います。
それまで人類の命運が尽きてなければいいですね。

・・・という投稿がありました