「政治とスポーツは一線を画すべきだ。」
「なんのために?」
「先を争って北京五輪支持を表明した企業を守るために。つぶれれば失業者があふれますし、黙っていれば利益を上げる事ができるのです。」

チベット人の命と、中国からの粗利が天秤にかけられています。
世界の辺境の権利と、世界の工場の主張。どちらが大切かは、立場によって異なるでしょう。

政治とスポーツについて区別をするべき、という気持ちはよくわかります。
「殺戮を支援したスポンサー」としてアフィリエイト付けられたら外聞が悪いだろうし、
辺境の騒乱が原因で会社が倒産なんてバカバカしいだろう、と。

しかしそれを尊重するか否かは自分で見て判断する人の勝手なのが頭の痛いところ。
「こうするべし」「あああるべき」の説得ではまるで効果がないだろうから、
最期まで北京と命運を共にするつもりの在る企業はもうちょっと気の利いた文句を
考えたほうがいいだろう、頭をひねって。

「くじらのほうが哀れである」
「どうせすぐに忘れてしまうくせに。」
「虐殺に目を瞑れば、莫大な利益が入ってきます。コンシューマーの方々にその還元を約束します。」
これぐらい言えば、不謹慎な人たちはそのスポンサーを見捨てないだろうに。

臆病になってどっちつかずの態度が一番有害であると覚悟を決めた企業は、
生き残りをかけて北京五輪を支援するだろう。

となると、日本でも長野の聖火リレーが心配なところ。
福田首相の苦悩は計り知れません。
ただでさえ貧乏くじを引き、コケにされ、国民からは軽蔑のうえ憎悪され、
中国は余計な問題を引き起こし、横車を押しまくってくる。

老体の身にはあまりにも過酷な試練の連続ですが、
お年寄り特有の消極性が飽きられ、バカにされているのも確か。
ここで面白い事を一発ぶちかませば、お祭り気分の国民が支持を表明するでしょう。
日本のことなんていまさら考える必要はない。
ここまで悪くなったんだし。

というわけで、老いらくの狂乱に期待しましょう。