【JMPIF 社説】

フランスの若者は平和的暴動を起こしてお上を揺さぶっておるそうな。
なのに、我が国の若者は汲々としておる。実に悲しい。涙が込み上げてくる。
聞けば、第二次世界大戦でかろうじて階級社会を維持した欧州諸国では、はや十二歳で将来が決定される事例がほとんどだとか。ああ、なんと美しき秩序だった伝統か、文明か。
人間、こうでなければならない。こうあるべきだと信じたい。

彼の地ではどんなに意にそぐわぬ内定を得た学生も、背後には労働組合という遥かなる王国にも似た安寧の地がある。そこでの権力闘争などかわいいものさ。
一方、我が国の若者は職場に疑問を感じ、第二新卒へ転じ、派遣へと落ち、数多くの艱難辛苦の末に、その朽ち果てた精神はついに強固な殻をまとうに至る。すなわち引き篭もりの誕生である。

彼らには勢力盛んな労組も極右愛国党も共産党も何も無い。何も無いのだよ…。引き篭もりたくなるのもまさに道理。そうでなければこの世は生きてはいけぬわ。
だがそんな彼らを世はニートと蔑み、手を差し伸べんとする。カミニート、アミーゴ~♪と、哀れみに満ちたその瞳で彼らを見るのは暇で無力な行政だけ。多忙を極める有能な民間の目には彼らは映らない。

殻の内部へ侵入せし「ニートの呪文」が彼らの内面を蝕み、ついに彼らは紛う事無き「ニート」になるのだ。「ミニマム」とか、「トード」とかのマジカルリップサービスと同じ原理である。果たして彼ら「ニート」は反乱を起こす事があるだろうか。いや、なければなりません。ならないのです。では、彼らは反乱を起こし何者になるか。誇り高き「ニート」は「聖戦士ニート」となり、頑なに社会に背を向け今際の時まで滅びの美学を体現するのであろうか。あるいは、浮世に見切りをつけてとっととオダブツになるのであろうか。だが社会が望む顛末は、彼らが社会に膝を屈し、せめてプラズマテレビくらいを購入する程度の経済力を持つ奴隷労働者として生産ラインに入っていただく事であろう。

これは不謹慎な予想かもしれないが、私は論理的思考作業の先に恐るべき未来を見てしまった。本日の社説は、この私の克己の達成を一つの成果として警鐘を鳴らしめた事を一つの到達点として、締めくくらせていただくとしよう。



以上、JMPIFからの電信より引用。