糞づまり

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ゴミが溜まりすぎると、こういう事故が起きる。
単純な雪崩であるが、規模が大きいと被害も大きい。
シムシティの災害に追加して欲しいものだ。

グアテマラはかつて中南米の春と呼ばれた一時代を築いたが、
もっと良い時代をプレゼントするというアメリカに従って独裁政権を打ち立てた。
残念な事にこれは失敗し、内戦を経て、貧困と恐怖の今がある。
その原因は強大な暴力組織が幅をきかせているためだが、
暴力団による表裏スレスレの支配が続いているために、ゴミが片付かない。
そういえば、イタリア・ナポリでも、シチリアマフィアがコルレオネーレの誇りにかけてゴミ問題で踏ん張っているという。

国家の中の国家のような自治組織がのさばるとろくな事にならない。

そして日本では老人問題がそれにあたるのだ。

・個々の老人
人間は数が少ないものに心を寄せるのは当然。
いくら全体主義をもってしてもこの傾向を排除する事はできない。
今の年寄りは世代を比例しても数が多すぎるから、今後絶対に愛されない存在である。
しかも子供はなかなか産まれないから、老人末期コストではなく、幼児教育費の無料が検討されるというわけだ。

さて、今の老人世代が大切にされたいと望むのなら、そこに競争の原理を働かせて、この厄介な問題を相対化させる必要がある。
親切で、物知りで、温厚で、謙虚で、経験豊富で、臭くない、周囲にどなりちらさず、
他人のためなら自己犠牲をいとわない。
こういった人徳の領域で活躍できれば、大切にされる老人とそうでない老人にわかれると思う。
人間には、普通に親切な人も居るし、絶対に他人をコケ落とさないと気がすまない野郎もいる。
道徳でふるいにかければ、満足の行く金のかけ方もできるだろうか。

ちなみに老人道徳を法律でしっかりと定める事は無意味である。
彼らは霊長類である事を終えようとしているのだ。
霊長類にも定年があるということだ。

グアテマラナポリゴミ問題との関係
関係がないって?
あるよ。
「処分できない」という点では、まるで同じである。
だからゴミを分別するように、老人も分別しなければならない。
燃やせるゴミ → コストカットできる・・・・
燃やせないゴミ → コストカットできない・・・・
リサイクルゴミ → もう一度労働現場へ。
粗大ゴミ → 老人ホーム???

こうなるとまだ壊れていないのに壊れていると主張する持ち主が増えるんだろうなあ。

という酷い投稿があった。